國男ゆかりの地
[2014年2月3日]
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柳田國男記念公苑
わが町では、國男が少年期を過ごした小川家を復元し、柳田國男記念公苑としてオープンしています。青少年が宿泊できる施設でもあり、また、文化の中心的施設として、活用しております。敷地内にある土蔵は、資料館として柳田國男関係の絵馬やはがきなどの資料や、著書類を展示して活用しております。
竹内神社
國男は10歳余りで生まれ故郷を離れ、北総の利根川べりで両親と共に少年時代を過ごしました。在住期間は短かったものの、少年期の利根川周辺での印象は、乱読の体験と重なって、後年柳田民俗学を築く礎となったと評されています。地元では日露戦争時に、布佐の竹内神社境内に珍しい英文の記念碑を、地元名望家と共に建てています。さらに、勝蔵院墓地には両親が永眠しています。
喜談書屋
國男は、明治34年元飯田藩士の柳田直平家の養子として入籍。同37年に直平四女の孝と結婚し、柳田家を継ぎました。飯田には、柳田ゆかりの旧邸が市内江戸町新建に、祖先柳田為美の墓が伝馬町来迎寺に、市美術博物館には東京から移築した喜談書屋があり、柳田國男館として伊那谷の民俗研究の拠点となっています。近くの長姫神社にも國男の銘が刻まれた常夜燈があります。
美術館
國男は、昭和2年に当区成城、当時の北多摩郡砧村に移り住み、逝去するまでの約35年間、この地で研究を続け多くの成果を残しました。22年には自宅の書斎等を提供し、「民俗学研究所」を設立するなど、この地を拠点に日本民俗学の礎を築いてきました。逝去後は蔵書すべてが、成城大学に寄贈され、「柳田文庫・民俗学研究室」として民俗学研究の貴重な資料となっています。
柳田國男逗留の地碑
若き國男が伊良湖岬を訪ね、周辺の島々や村々を見聞し自適の一夏を送ったのは、明治31年のことです。その時恋路ケ浜で見つけた「椰子の実」は、島崎藤村の叙情詩「椰子の実」の素材となり、国民歌謡として愛誦されただけでなく、やがて遙かな「海上の道」への出発点となりました。「椰子の実」の記念碑、公園などの整備が進められ、柳田の著作から学ぼうとする、学習団体も歩きだしています。
鶴富屋敷
明治41年(1908年)当村に滞在し、山民の狩猟の故実を聞き、柳田民俗学誕生の書『後狩詞記』が出版されました。以後、椎葉は民俗学の宝庫であるといわれています。柳田國男が訪れた中瀬淳村長宅に昭和60年「日本民俗学発祥之地」の碑を建立しました。いま柳田民俗学を学校の副読本にするため取り組んでいます。
遠野昔話村
明治41年、柳田國男と遠野の人・佐々木喜善が語った遠野の昔話の数々が柳田國男に深い感銘を与え、日本民俗学の「誕生」を告げる記念碑的著作『遠野物語』が生まれました。
博物館、図書館を中心に柳田國男に関する資料の収集と展示をしており、遠野を訪れる人々に一大ロマンと感動を与えています。また、施設も順次整備しています。
池間大橋
國男は、『海南小記』の旅で1921年1月、宮古島に来島、平良町を一巡しています。また、柳田の晩年の大著『海上の道』では宮古島北方に広がる八重干瀬が主要な舞台となります。平成4年2月に大橋が開通した池間島に八重干瀬や池間湿原を生かした「柳田國男民俗資料館」の建設を進めていくことにしています。
福崎町役場社会教育課
電話: 0790-22-0560
ファックス: 0790-22-0630
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開庁時間:8時30分から17時15分まで(土曜・日曜日、祝日、12月29日~1月3日は閉庁)
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